2007年10月20日アーカイブ
さて実はランボルギーニには、ミウラというお兄さんがいた。
この車の最大の特徴は、世界で始めて12気筒エンジンをミッドシップで横置きに搭載したということだ。
1966年から73年までにわずか750台が生産され、のちにカウンタックを世に送り出すマルチェロ・ガンディーニのデザインによるこの流れるようなボディラインは、明らかにフェラーリを意識しつつもピニンファリーナとは別路線を模索したものだった。ただし、時代が流線型からウェッジシェイプに移る過渡期であったこともあり、この車のデザイナーはガンディーニかジウジアーロかには議論が分かれている。
ミウラは66年のデビューからP400、S、SVと、大きく分けて三つのマイナーチェンジを繰り返し、完成度を上げてゆき、安定した人気を誇っていたのだが、1973年に生産を中止することになったのは、カウンタックの製造が始まるためにラインを明け渡さなくてはいけなかったからだった。弟が産まれるのでお兄さんは部屋を追い出されてしまったわけですな。
この車の最大の特徴は、世界で始めて12気筒エンジンをミッドシップで横置きに搭載したということだ。
1966年から73年までにわずか750台が生産され、のちにカウンタックを世に送り出すマルチェロ・ガンディーニのデザインによるこの流れるようなボディラインは、明らかにフェラーリを意識しつつもピニンファリーナとは別路線を模索したものだった。ただし、時代が流線型からウェッジシェイプに移る過渡期であったこともあり、この車のデザイナーはガンディーニかジウジアーロかには議論が分かれている。
ミウラは66年のデビューからP400、S、SVと、大きく分けて三つのマイナーチェンジを繰り返し、完成度を上げてゆき、安定した人気を誇っていたのだが、1973年に生産を中止することになったのは、カウンタックの製造が始まるためにラインを明け渡さなくてはいけなかったからだった。弟が産まれるのでお兄さんは部屋を追い出されてしまったわけですな。
